東京・青山の街を自転車で移動する。
事務所から郵便局へ向かった。
愛知在住の大学生であった時(もうずいぶん前だ)、
ちょうど今頃の季節、夏休みを利用して就職活動と称した旅行を
友人3名でしたことがあった。
まったく就職に関心がない学生だったじぶんは
ただただ物珍しげに、当時、おしゃれの最先端の街だった
(いまでもそうなのだろうが)表参道を歩いたのだ。
当時は竹下通りにマニアックな輸入レコードの店があり、
表参道に店といえば、キディランドが目立つくらいで、
いまの表参道ヒルズの場所には、
同潤会アパートが古色を漂わせながらも落ちついた街並みの
背景画のような存在感を醸し出していた。
その時代から見通せば、
この地域は発展こそすれ、衰退の欠片もないような繁盛ぶりだ。
どこに日本の危機はあるのだろう。
実感としても体感としても、まったく分からない。
しかし、時代の空気のもっとも鋭敏な部分が
この表参道に如実に表れてくるのは、もう少し後。
そうだなあ、2020年代だろう。(2021年、22年?)
その空気を味わうには地方が最高だ。
それも田舎であればあるほどよい。
経済やコミュニティ崩壊や自治や健康、医療、子どもの減少など
すべての危機の最前線は、田舎にある。
そして、その脱出の方便の試行錯誤も、田舎で見、味わうことができる。
長崎の離島へ墓参に訪れるたびに強く印象に残るのは、
ほとんど生活音が消えた町の、静けさだ。
10,000人が暮らした町がわずか40年ほどで消え去ろうという静けさだ。
思い出すのは、昭和の夕暮れ時の商店街の喧噪(って変換しやしない!)だ。
八百屋、魚屋、乾物屋、揚げもの練りものの店、洋品店、酒屋・・・。
路地をかけ周り叫び声を上げる子どもたちと、母親たちの談笑の声。
軽トラックのクラクションと、港に入る漁船のエンジン音。
高台にある中学校のクラブ活動の声。下校を知らせるメロディ。
役場から響く5時のアナウンス。家々から漏れるテレビの音。
パチンコ屋の景気の良い玉の音が響き渡る
飲み屋から男たちの笑い声が聞こえる。
2010年代。それらすべてが、ほぼ99%、消え去ってしまった。
人の気配が消え、子どもの声がしない町。
郷里がさびれていくというのが、これほど強烈に寂しいことなのか。
もどかしい。何もできることはないのか。
少し先取りして、きつい形で日本の未来を見てしまった。
想像でしかないのだが、トランプを支持したラストベルトの
中流階級以下の人たちが感じているのは、
ひょっとしたら、私が郷里に抱いた寂しさ、もどかしさ、
と同じ質の感情なのかもしれない。
そう、表参道では決して味わえない質の
あの場所からは、1億キロくらい遠く隔たった感情。
今週末から帰省である。
Egachannel21
次の社会のビジョンを探し、見つけ、磨き、知らせていく実験的サイト。2100年、2200年。シンギュラリティ、人口の縮減、環境の激変を経て、どのような生き方と共生が可能なのか。素人の床屋政談であり、酒場の与太話をプチ放ちます。 (エガチャンネル21)
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